人を信じられるようになるまでシリーズ
その①メンターとの出会い
その④親のワーク父編
その⑤親のワーク父編#2
その⑥親のワーク母編 ←今ここ
前回の記事では、父に電話をしたところまで書きました。
今回は、母に思いを伝えたことを書きます。
雑談の延長で突然、切り出しました。
私:「あのねー、ちょっと昔の話を今更するけど、良い?」
母:「えー、いいよ、なぁに?^^」
※長文です
※身内ネタが多く、「?」だと思うので、気になる方のみ注釈をご覧ください。
※ちなみにうちの家族構成(同居していた)は下記の計7名です
・ひいおばあちゃん(父方)
・おじいちゃん(父方)
・おばあちゃん(父方)
・父(激務のため家にいる時間が少ない)
・母(当時専業主婦)
・私
・弟
+
ママ、おじいちゃんおばあちゃんに、よくいじめられていたじゃん?*1
私は、ママが怒鳴られたり、泣かされている姿を見たくなかったんだよ。
パパは味方してくれたの?
私にはそうは見えなかった。*2
ママはあの家に、味方がいなくて一人ぼっちでかわいそうだと思っていたよ。
*
「ちーは我慢ができて良い子だね」って言わないで欲しかった。
『我慢ができるのが良い子』だという、苦しい価値観が根付いてしまったのはママのせい。
私はずっと、行動の根底にはいつも「我慢」があったんだよ。無意識のうちに。
ママが喜ぶと思ったから。
でも、本当は苦しかったし、もう何一つ我慢する道は選びたくない。
*
小さい頃、私がわからないことを聞いたとき、ママはいつもちゃんと教えてくれなかったよね。*3
はぐらかさないで欲しかった。
私はいつも知的探求心が満たされずに、消化不良だったんだよ。
もし、ママがたくさんの物事を教えてくれたら、私はもっと考える力がついたかもしれないのに。*4
*
てか、ぶっちゃけ私より弟の方が可愛いでしょ?*5
*
<テレビ事件>*6は、本当にキツかった。
私がテレビ嫌いになったのと、背が伸びなかったのは、ママのせいだ。
*
今まで誰にも言ったことはなかったけど、
・<ランドセル事件>*7や、
・<車破損事件>*8なんてものも、あったんだよ。
・・・このあたりまで話したとき、(時間にして30分程度、)
ふと、以前 響子さんに言われた言葉が降ってきた。
『ちーちゃんは、お母さんのことが大好きだったんだね』
『ちーちゃんは、お母さんのことが大好きだったんだね』
・・・。そうだ。そうだよ。
私は、ママのことが大好きで、ママのことを守りたい一心で、色々やっていたんだ。。
響子さんに言われたときは「ええまあ、そうですが、それが何か?」と思っていたが、ここにきて感情をようやく理解した。
母に、恥ずかしかったけど、言ってみました。
「私はママのことが大好きだったんだよ・・。」
言いながら、泣きそうになった。
何度も言うが、私は感情を抑えるのは大得意だ。
加えて、親の前で泣くなんて恥辱の極みである。
が、
『ここはあえて涙を流してみようかな。』
『親のワークだし』
『みんな泣いてるっぽいし』
『私も泣いた方が効果あるかな』
と冷静に思ったので、感情に素直に涙を流してみた。
そうしたら、母も笑いながら泣いていた。
なんかスッキリした。
なんていうか、嬉しかった。
何が・・?うまく言えないけど、20数年間の自分の気持ちに気づけたことが。
それを、母に伝えられたことが。
母の味方になってあげたかった私だけど、母もいつも私の味方でいてくれてるんだよなぁ。
(あれ、なんか前回の父親編のときと若干展開が似ている。。?)
続きます。→☆
長くてごめんなさい。
*1:
母は、父方の祖母と祖父にずっといじめられていました。いわゆる「嫁いびり」ってやつです。
母がいびられる原因は、私にあることが多かった。
私は幼い頃、母にちょっと叱られてはすぐに泣いちゃう子でした。
(叱られる理由は、ピアノの練習をしないから、宿題をしないから、などのよくありがちなやつ)
すると、私が泣いている姿を見た祖父が「なんでちーちゃんのことを泣かすんだ!」と、母のことを怒鳴りつけます。
(祖父にとっては 孫(私)>>>>>嫁(母)だった)
そして、祖父のあまりの剣幕にママが泣いちゃう、というパターン。
私はその度に、祖父に「ママのこと怒らないで!私がピアノの練習をしないからちょっと叱られただけなの!」って泣きながら言ってました。
私はママが祖父祖母に怒られなくて済むよう(つまりは母が私を叱る必要がないくらい)超良い子でいることを心掛けるようになりました。
*2:母の回答:そもそも、あまり父には祖父祖母の愚痴を言わないようにしていたらしい。(気を使っていたとのこと)
たまに愚痴を言ったときは、父は「うんうん」ってただ聞く もしくは たまーに「おとうさんたち(祖父と祖母)も悪いよな」的なことを言ってくれたと。
それが、父なりの「母の味方をしていた」だったんだろうな、とは思います。
*3:
「ねぇママ、〇〇って何?」「□□って、どういう意味?」とわからないことを聞くも、『パパに聞いて』『なんだっていいでしょ』『〇〇は〇〇だよ(←答えになってない)』ってはぐらかされることが多々あった。
*4:母の回答:「ごめんね・・・。反省してる。」
*5:母の回答:「そんなことない、ちーも弟くんも両方可愛い」
「弟は甘え上手だったから、ついつい世話を妬いてしまっただけ。」
(私が勝手に『自分でなんでもやろう』と思って頑張っていただけだった。私も弟と同じように甘えれば良かったんだ、と思った)
*6:
<テレビ事件>とは:
小学校4~6年生のときである。私は毎日寝不足に悩まされていた。寝室で、母がテレビを見ていたため、夜、なかなか寝付くことができなかったからだ。神経質な私は、テレビの音や明かりがあると眠ることができない。
2時間くらい、がんばってギュッと目をつぶり、1:00amくらいにやっと眠れるという生活を数年間していた。
当然、日中の学校の授業は起きていられない。
何度も母に訴えた。「私が眠る部屋は、テレビを消してほしい」と。しかし、聞き入れてくれることはなかった。
これが相当トラウマで、「私が母親になったら、子どものことを十分に寝かせてあげよう」と強く思う程。
ただ、母はこの件のことを、そもそもあまり覚えていないようだった。(爆)
母曰く、「人は皆、本当に眠かったら、テレビがついているいないに関わらず眠ると思っていた」。
ちーは元々寝付きが悪い子だけど(それは事実)、それが点けっぱなしのテレビのせいだとは思っていなかった、と。
だから、「どうせ、ちーが中々寝付かないのだから、その間テレビを見ていよう」と仕方なくやっていたことらしい。
一方私は、「寝付けないのは、母が隣でテレビが観ているせい(消してくれたら眠れるのに)」と言っているつもりだった。互いの主張が通じていなかったのだ。
勝手な思い込みとは怖いもので、私はこの「テレビ事件」を、私と母の歴史の上で持ち出してはいけない出来事にしていた。タブーだと。母がテレビを消さなかったのには何か重大は問題があって、本人も触れられたくない何かが今でもあるのだろう、と。
でも、いざ勇気を持って話してみると、母にしてみたら、なんてことない超~~~印象が薄かった出来事であった・・・。私の十数年間の取り越し苦労は一体。。
*7:<ランドセル事件>:
入学前に小学校から配布された、ランドセルに付ける用のカバーがあった。
しかし、付け方がよくわからなかった母。結局、私はカバーが半分ランドセルから取れた状態で登校した。
早速、登校直後に隣の席の男の子からそれを指摘される。「ランドセルのカバー、半分取れてるよ?」
私、いきなり号泣w なぜか。「カバーを付けられなかったママのことをバカにされた!」と思ったのだ。男の子と担任の先生、いきなり泣き出した私を見てポカーン( ゚д゚)w
とにかく、当時のわたしは、他人に母のことを少しでも悪く言われるのがガマンできなかった(言われてないが。)
*8:<車破損事件>とは:
母の留守中に、父方の遠い親戚が家に来た。彼らは母の悪口を言いまくっていた。「使えない嫁だ」と。
それを聞いてしまった私は腹が立ち、その親戚に言い返したかった。
でも、大人たちに反論できる程、当時の私は口達者ではなかった。
そこで私はこんな姑息な反撃に出た・・・彼らの車に、うちにあった農作業用の鎌で傷を付けたのです。塗装を剥がしました。あのときの犯人は私です。もう時効だと思うから話します。